【過去の自分に物申す!その1】自分の夢を叶える(食べていく)ということ。その夢はビジネスに出来るのかを真っ先に考えろ!
こんにちは。カワりもんです。
過去の自分に物申すシリーズ第一弾。
さっそく始めたいと思います。
※注意事項
- このシリーズは過去の自分に向けてかなりの熱量をもって書いています。そのため、所々に言葉遣いが悪いところもありますが、あくまでも自分に向けて言っている表現ですので、ご了承ください。
- あ、でも、自分も当てはまるなぁと思った方は、多少自分に言われてるような気持ちになって読んでみて。
「俺、東京に行くから」
私は19歳のあたりから、自分の夢を持つようになった。
大好きな音楽で食べていきたいという夢だ。
ギターを抱えていつも唄っていた。
ノートに詩を書いて、それにメロディをつけていく。
自分で作詞作曲した楽曲を唄うのは気持ちが良かった。
まっすぐに自分の気持ちを伝えられるし、吐き出せるからだ。
テレビに映るアーティストは皆、自分の大好きな音楽を、自分の思うように表現しているのだと思っていた。
とても自由にみえたのだ。
当然、オヤジは反対だった。
学校の先生も半ばフォローするように私に言った。
「二足のわらじでもいいじゃないか。就職しながらでも本当にそれが続けられるかを判断するのも悪くないんじゃないか?」
しかし私の意思は固かった。
卒業したら東京に行く。
就活もせずに、親の話にも耳を傾けずに。
オヤジに細かいことを話すと反対されるのを懸念して、あの頃の自分は少し避けていたようにも思える。
それとは反対に、友達や職場の同僚はそんな俺をみて、背中をおしてくれた。
「お前ならほんとにやれる。」
「お前ほど歌唱力があればいけるだろ」
「夢があって素敵だな!」
そんな言葉をかけてくれた。反対する人は一人もいない。
私の意思は皆の言葉に勇気付けられ、ますます大きくなっていった。
反面失うものもあった。
色んなものを犠牲にした。
辛かった。でも決めたんだと自分に言い聞かせた。
大好きだったランクルの70を手放したのもこの時だ。
とりあえず上京してから収入が少しなくても大丈夫なように貯金をするために必死で働いてた。
「おれ、東京にいくから」
久しぶりに口をきいたオヤジに俺はそう告げていた。
自分一人で全部決めてしまってから、事後報告のような言い方だった。
反対するオヤジにをどうすれば説得できるのかそれだけを必死に考えていた。
「自分で思う存分やったら帰ってくる」
「自分なりに期限決めていくから」
自分の息子のこの先の事を本気で心配する両親をよそに、私の言動はあまりにも自分勝手だった。
東京生活
そして上京することになる。
東京に来てからの日々は、何もかもが新鮮で楽しかった。
新宿、渋谷、池袋、六本木、銀座、秋葉原、高円寺、上野、浅草。。。
どこに行っても違う顔をもった街。
街を歩いているだけで楽しかった。
ライブ活動を始め、ボイストレーニングに通い、小さな事務所に入ったりした。
アルバイトをしながら、音楽活動をしながら、あたかも充実しているような、夢に近づいているかのような、そんな毎日を過ごした。
反対していた親からもよく仕送りの食べ物が届いていた。
オカンは心配してくれて、たまに電話で様子を伺ってくれていた。
最後までハッキリと話し合いもせずに黙って俺を見送ったオヤジはというと、ケータイの着信音を私の歌にしているというのだ。
そのことをオカンから聞いた時はすごく嬉しかった。オヤジも応援してくれている。
それ以来、実家に帰るたびに、東京での出来事を話すようになった。
音楽活動の途中こんな話も飛び込んできた。
「アイドルのような立ち位置なら売り出してみるか?」
「AKBのメンズバージョンみたいなグループの一人として売り出す」
「まずは世の中の注目を集めるようなことをしてみないか?」
私は、一切耳を貸さなかった。
(俺は、自分が作った歌を歌いたいんや。やりたくないことやるならサラリーマンでもやるやろ。)
そんなふうに思っていた。
朝まで、曲作りもした。
DTMや、レコーディングも数年かけて習得しながら、自主制作のCDもつくった。
PVも撮影して、ライブの衣装も作って。やれることはやったような気がしていた。
自分が音楽に勇気付けられたように。
自分も自分の楽曲で誰かを勇気づけることができたら。
思い返せばそれがきっかけだった。
そんな気持ちをもって音楽活動をしているつもりだった。
約束の時
そして、時は過ぎる。
オヤジに約束(といってもこちらから強引に決めた期限)した期限を決めてという話。
私の中では30歳が期限だった。
その期限を目の前に私には大切な人が出来た。
一生を共にしたいと思えるとても大切な人だ。
すぐに結婚を見据えてちゃんとした定職に就くことにした。
あれだけ定職につくことを拒んでいた自分はもう居なかった。
結婚という目標のために、方向転換していた。
音楽のことを考えるのは、少し疲れていた。色んなことがあった。
楽しかったはずの音楽が、期限に追われてやらなきゃいけないようなものになっていたような気がする。
あんなに沢山の人達が応援してくれて背中を押してくれた。地元のみんなの顔が浮かんだ。みんなはなんて思うかな。オヤジはなんて言うだろうか。そんなことを考えた。
夢が変わっていたと思っていた。
音楽で食べていくという目標から、大切な人を守りたいと言う別の目標に変わっていったかのように思っていた。
しかし、あの頃より大人になった自分は本当の自分の姿にやっと気がつきはじめるのだ。
どれをとって努力したと言えるのか
たしかに、結婚を意識してからは自分の一つの目標が結婚に向いたのは間違いではないだろう。
しかし、夢がかわったのではない。
そもそも、音楽で食べていくという夢に向かう熱量が足りなかったのだ。
どこをとって音楽という夢に向かって努力したと言えるのだろうか。
色んなものを犠牲にしてきてまで、東京に来たやつがどれほど努力したのだろうか。
上京した歳が24歳。上京するやいなや、死ぬ物狂いで自分のスキルや知識を身につける行動を起こすわけでもなく、東京の散策を楽しんだり、友達との飲み会に参加したり、十分に遊んでいる時間を確保しているのである。
24歳で上京したにも関わらずだ。
自分のやりたいことがみつからない。
学校を卒業して就職してサラリーマンなんて人生はつまらない。
でも、なにをやったらいいのかわからない。
自分がなにをすべきなのかもわからない。
そんな気持ちから逃れるかのように、「大好きな音楽をやるんだ」と自分に言い聞かせていたのかもしれない。
その、「大好きな音楽」というジャンルをビジネスに出来るのかということは一切考えずに、それで食べていくなんてことを宣言していたのだ。
過去の自分に物申す!
その甘ったれた、怠け者に言いたい。
人生が永遠に続くとでも思っているのだろうか?
その時点で、戦略的にどんなアーティストとして自分を売り出していくのかを考え、基礎的な強みを磨き始めてないお前は一生かかってもプロにはなれん。
プロになることをなめすぎている。
周りの反応にいちいち調子乗っているのだ。
「お前ならいける」
「それだけ歌えればプロになれるよ!」
そう言われてきてるから、満足している。
成長する本気度がまるで足りていない。
そして、更には大きなチャンスも何度も逃している。
音楽で食べていきたいんだよね?唄う事を仕事にしたいんだよね?
ならば、世の中の需要に応えないでどーする?
需要に応えないとビジネスとして成立しない。
要求されることが必ずしも自分のやりたいこととは限らない。
「消費者のニーズに応える」
こんなことは猿でもわかる商売の基本だ。
リスナーのニーズに応えてこそビジネスとして成立する。
こんなことを言うと反感をかうだろうか?
「音楽は自分を表現するもので、ニーズに応えて作るようなものではない」
とか
「そんなものは音楽でもアートでもない」
と。
その考えこそが癌なのである。
リスナーが欲しいのは
そのこだわり抜いた思考だろうか?
好きなことをやっているお前の姿だろうか?
独りよがりの作品だろうか?
お前が作る楽曲だろうか?
ちがう。リスナーが欲しいのはその音楽そのものではなく、その楽曲を聴くことによって得られる「何か」だ。
それは生きる希望かもしれないし、
人の優しさかもしれない。
毎日のありがたみに気づくことや
愛の意味をしることかもしれない。
それを提供するのが音楽としてのビジネスだといっているのだ。
それを個性を持って表現すること。
ニーズに応えることのなにが間違っているのか。
なにも自分を無くして相手のいいなりになれということではない。
相手を知った上で、何を歌えばいいかを考える。どうすればいいかを考える。
人に寄り添って、誰に対して伝えるのか、何に悩んでるのか、どんな痛みがあるのか。
ニーズに応えるとはそういうことである。
そもそも、お前も音楽に勇気付けられたのがきっかけだった。
それがニーズだ。
アーティストによっては、プライドをもって“好きなことだけ”、“自分の思うようにだけ”とうまく渡り歩くケースだってあるだろう。
ただ、それは殆どの場合、その人の“好きなこと”や“世界観”が既に世の中のニーズにハマったからなのだ。
“好きなこと”が世の中の人が欲しがってたものだったから。
ただ、お前の場合は違う。
お前の好きなことはその後からでもいくらでも出来る。
ビジネスとしてみるならそこを履き違えてはいけない。
「やりたくないことをやるならサラリーマンでもやる」だと?
少なくともお前よりも、サラリーマンはやりたくないことも必要だと理解した上で自身の成長のためにサラリーマンをやっている。
“やりたくないことはやらない”では殆どの場合ビジネスは成立しない。
自分の夢をビジネスとして成功させられるかどうか。
これをしっかりと考えて考えて考え抜いてからスタートするべきだ。
音楽に対する考え方があまりにもせますぎる。
自分の殻に閉じこもって、自分の音楽をやろうとしていた愚か者だ。
自分のやり方を貫き、音楽から離れることになった。
唄う事を辞めることになった。
その言い訳は
「結婚を機に。自分の中で定めていた期限の30歳になったから」
というもの。
なぜ、そうなったのか。
それはビジネスとしてしっかりと考え、成功させる事が出来なかったということ。
自分の趣味や思考よりも、聴く人の心に寄り添う方が大切だっていうことに気づいてなかったこと。
それだけではない。
夢をおいかける熱量が足りなかったこと。
結局、人間はなりたい自分にしかなれない。
本当になりたかったものだったとしたら、もうすこし早くその大切さに気づきたのかもしれない。もう少し努力できたのではないだろうか。
もう少し自分に向き合って自己分析が出来ていれば、やるべきことがもっと早くにみつかったかもしれない。
逆に、ニーズに応えるマーケティングが出来ていれば、音楽を楽しくて追いかけていたのかもしれない。
いずれにせよ、足りないものが多すぎたのだ。
過去の失敗を生かして今日も前へ進め!