世の中の悲しい出来事。それをどう防ぐのか。本質はどこにあるのか。
こんにちは!カワりもんです。
先日、知り合いのわかぞーが自分の時間の大切さを分かっていなかったので、
「自分の時間を生きなさい!」と喝を入れたカワリモンですが、そんな私。
とても人にそんな偉そうなことを言えるようなやつではないのです。w
私自身ももっともっとストイックに自分の時間を生きたいと日々努力をし、まだまだ成長段階にいるわかぞーなのです。
自分の時間を生きるというのは何も自己中に自分のためだけに時間を使いなさいということではありません。
自分のためにならない、人に与えられた時間を無駄に過ごすのをやめるべきだと私は思っています。
このことについては、語るとかなり長くなってしまうので、後日ブログにアップするとします。
本題に入ります。
その時間管理の話しから繋がるのですが、
人の時間を生きているような事例に「ボランティア」があります。
あと、例えば「大好きな人にサプライズのプレゼントを探したり仕込んだり」している時間とか。
表面的に見れば、「他人の時間を過ごしている」ような気がします。
しかし、これは自分が主体的に誰かのためにやっていることであって、やらされることではありません。
「誰かを喜ばせたい」
その気持ちが他者貢献をしたいと思える動機です。
そして、その動機にはまだ本質があります。
自分が主体的に選択した“他者貢献”のもう一つの本質は自分のためなのです。
誰かに必要とされたい自分のその“欲求”を満たすためでもあると思うのです。
この承認欲求、自己受容が人生を大きく左右します。
ビジネスで成功するのはもちろんお金のためでもありますが、人間の最大の幸せとは
『人に必要とされること』。
逆に言えば
人生で最悪のシナリオは、
誰からも必要とされなくなり
自分自身で自分の存在価値が分からなくなった時。
これは誰もが想像を超える孤独と恐怖の世界だと思うんです。
それを避けるために、私たち人間には自己受容の本能が備わっていると思います。
先日、朝のニュースの速報をみて私は凍りつきました。
凄惨な事件に小学生が多数巻き込まれそれを守ろうとした大人も被害に。
私は、いてもたってもいられなくなりました。
自宅からもそう遠くない登戸の駅付近。
心肺停止の小学生と大人の方と、その他の重症の小学生たち。
どうか、一人も死なないでください。
がんばれ。戻ってきてくれ。死んじゃダメだ。
私は祈りました。
私の思考が届くとするなら、少しはいい方向に変わるかもしれない。
涙が流れて止まりませんがしばらく祈っていました。
これ以上の情報をいれたくなかったのか、私はTVを消し、その日は何もする気がおきませんでした。
そして、小学生1人と大人1人。そして犯人自身が帰らぬ人に。
最悪の結末です。
私はこのブログに書くことはしないつもりでした。
思い出すのも辛いのです。
しかし、世の中のメディアがこぞって着眼点が違うような発言もしているので、読者も居ないのも承知で私の気持ちはここに残しておきます。
この事件の原因はなんでしょうか。。
怖い世の中になってきたとか
アメリカのように子供を学校まで送る必要がでてくるとか
どうやってふせげばいいのかとか
どうやって身をまもるのかとか
犯人ひきこもりだったんだってとか
そもそも両親がいないってよとか
まるでそんな犯罪者が増えてきたかのような。
ひきこもりも両親がいないのも本質的には直結した原因ではありません。
だったら世の中のひきこもりや両親がいない人は全員犯罪を犯すのかって話です。
そんなわけありませんし、それが直接的な原因でもなんでもないことぐらいは自明です。
あれだけの人を刺した後に、自分の首を刺しているんです。
精神がとてつもなく通常な状態ではありません。
逆に考えてみても、
世の中のほとんどの人は正常な思考をもっています。
精神がすこしやられたくらいでも、他人の命に手を出すほど、異常ではありません。
どこにいたって急に意図的に殺されたりすることは無いに等しいです。
『どうやってこういう犯罪から身を守るか』
よりも
『どうやったらこういう犯罪をなくせるのか』
を考えていけないものかと思ってしまいました。
ほとんど起こらないであろう尋常じゃなく精神が通常では無い犯罪者に巡り合った時の対策などを考えていることはあまり意味をなさないというか本質ではない。
万が一の時に備えるというのも場合によっては、必要ですが、それは地震や災害、事故などの根本的な原因に人類が手をつけられない場合のみ。
この事件の本質は「悪質な犯人によって多数の人が刺された」ことではありません。
犯人が引きこもりだったからなんていう表面上の理由でもありません。
なぜ犯人はそんな凄惨な事件を起こしたのでしょうか。
両親はなぜ見捨ててしまったのでしょうか。
義理の父親の方はどのように育てていったのか。
まったく愛されなかったのでしょうか。
だとしたらなぜ愛されなかったのでしょうか。。
なぜ、愛してあげなかったのでしょうか。。
なぜ、どうしてなんでしょうか。
私たちにはそれは理解することはできませんが、、推測はできます。
犯人はとてもまともな人間には到底理解のできないほどの苦しみを、
両親からも誰からも必要とされないことの苦しみと戦っていたんだと推測します。
自分を軽視した社会への、他人への憎悪から犯行に及んだのでしょうか。
その結果、全くの迷いがなく自分自身を殺すことが出来た。
犯人をかばうつもりじゃないです。
殺された遺族の方を想うとそんな気持ちにもなりません。
でも、犯人をそこまで追い詰めた「原因」があるのです。
どこにでもいる男の子を『殺人鬼』へと変えてしまった原因が。
もしその本質を潰すことが出来たなら。
この犯人のような境遇にいる人は世の中に沢山いるはず。
当たり前ですが、もちろん全員がこんな事件を起こす人では無いし、辛くても今も戦っている人もいるでしょう。それに打ち勝つ人もいれば、自分を認めてあげることも出来ないまま、殻に閉じこもったままの人も。。
もしも誰もが愛され、誰かに必要とされて、承認欲求も満たされ、自分のことを認めることが出来る世の中になるなら。
人が人を意図的に傷つける事件は今よりも少しは減ってくれる気がします。
でもそんな夢のような世界になることがすぐに可能だとは正直思いません。
しかし、皆んなで現代社会のそういった状況を変えることが出来ないのかを考えることはできるような気がします。
読んでいただき、ありがとうございました。