カワりもんのブログ

いらんことばっかお節介にも書き綴るブログ。「ほっといてくれ」と思えば読まん方がいーかも

人生の軸を探してたら、いきなり食らった往復ビンタ

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このはてなブログを始めるきっかけとなった出来事を一番はじめに記しておくことにする。

 

それは1日で往復ビンタを食らった日のこと。

 

自分のこれまでの経緯については、それだけで膨大な量になるため後日このブログでゆっくりとお話しようと思っているので割愛するが、夢を追って上京し、期限だった30歳を迎えて結婚し、子供2人を持った父親となった私にはあの夢を真っ直ぐに追いかけていたあの頃とは対照的に『人生の軸』がないと感じていた。

 

人生の軸とは私にとっては目指すべき目標だったり、夢だったり幸せになるためのゴールとでもいうのだろうか。

そういったものが無く、なんとなく収入を増やすことや目の前の目的に対して立ち向かっていく。そんな日々を過ごしていた。

 

『人生の軸』がないとやばいな。

 

 

そんなふうに思っていたのだ。読書が好きな私は本の中でもそんな言葉をよく目にする。

「自分のやりたい事をしっかりと見極めろ!」

「自己分析で人生の軸を探す」など。

そんな言葉や世の中の風潮があってか私の気持ちはますます焦っていたのだ。

夢をもって活躍している人たちの本に触れたりもそうだが、このネットが普及した現在には良くも悪くもそんな色々な“成功者”たちの情報が自分の中に入ってくる。

 

 

そんな時、仕事終わりに部下の1人とゆっくりと話す時間があった。

彼は、最近あった家族との事や自分の悩みを私に話してくれたのだ。

話の中で彼のお兄ちゃんがこの先の人生について何がしたいかが分からないと悩んでいるという話になった。

イムリーなことに私自身がなにがしたいのかがハッキリと分からずに人生の軸を求めていただけあってお兄ちゃんの気持ちがすごく理解できるような気がした。

私も自分の気持ちや今の状況を恥ずかしながらも素直にその彼に話したのだった。そんな話の中で彼はふとこうもらした。

 

「やりたいことってそんなに常に探さなきゃいけないんですかねぇ。」

 私はその言葉に少しはっとした。

彼は続けた。

 「〇〇さんは結婚してお子さんにも恵まれて。僕なんかにはすごく幸せそうに見えますし、、」

 

「僕も夢を追いかけて上京して、諦めがつくまでやって、次にやりたかった〇〇もやって。その次の目標は結婚して子供も欲しいです。で、そのあとは定年を迎えたら自分で自給自足の生活をしてみたいんです。でも定年までの空白のことは家族を養える手段であれば特になんだっていいかなぁ。なんて考えてるんです。」

 

家族を養えるなら特に手段は選ばない。

必ずやりたいことだけを探し続ける方がいいんですかねぇ?と。

これに関しては賛否両論あるだろうが、その時の私には斬新な発想に聞こえたのだ。

 

「少し難しく考えすぎていたのではないか」

そんな気持ちになった。

 

好きなことを仕事にする人や、好きなことだけをやりながら自由に、幸せそうに生きている人もたくさんいる。

だが、それは好きなことが明確でそれに向かってかつ情熱を注げる状態であるまでに行き着いた人。

そんな人たちをはたからみて幸せそうだと自分も真似をしようとする。

そんな自分がいる気がした。

情熱が注げるものが見つかる時までは、そんなに焦らなくてもいーんじゃないか?

そう思えてきたのだ。

今の自分は幸せだ。十分に幸せだ。

そんなあたり前のことを気付かされた出来事だった。

 

その帰り道、私は『人生の軸』を再定義するためか、iPhoneSafariを立ち上げこう入力した。

 

“人生の軸”

 

スクロールしていくと目に止まった記事が。

「自分の軸がない」と悩んでいた私が、TwitterのCEOから学んだこと - ライティング・ハイ

おお。なんか説得力がありそうやな。

 

その記事を読み進めていくと後半部分に出てきたTwitter創業者のディック・コストロの言葉。

 

台本のない人生を生きてください。人生は即興の連続です。

そして、自分が何をするべきかをあまり考えないでください。そこには台本などないのです。20年後、皆さんはどんな舞台にいるのでしょうか。どんな人生になろうともその瞬間を全力で楽しむのです。

 

なんと素晴らしい言葉なんや!笑

 

思い返せば今までの自分の人生もそうじゃないか。

全てが完璧なシナリオ通りになった事象があっただろうか。

少なからず突発的な何かによってその都度試練を与えられ続けてきたように思える。

自分の部下が言った言葉も同じような事を洞察している。

 

ここで念を押しておきたいが、軸を持つことが必要ないと思ったのではない。

軸を持つことは必要だと思う。

しかし、あまりにもその軸を探すことに囚われすぎたせいで何かを見つけないとと焦ってしまうせいで、今この瞬間を幸せだと思えない、あるいはこの瞬間を楽しめていない自分がいる事に気付いたのだ。

 

私は、ようやくこの先の入り口の扉が開いたような気がした。

 

軸は必ず必要だと思う。

海に泳ぐクラゲのように流されるだけの人生はきっとつまらないものになるだろう。

自分の中に基準となる「軸」がなければ、やりたいことが生まれるはずも、選べるはずもない。

 

しかし、私が探していたのは、一生を決めるような揺るがない「軸」を探そうとしすぎているのではないか。

今、明確な目的がないことに焦って、短期的な目的を探すために焦っていたにすぎない。

もっと大きく、広い定義でも良いような気がしてきた。

もっとおおまかで人間の本質ともいえるところにあるのではないかと。

そして軸は変わっていくもので、その時の自分の環境や新たな出会いや発見によってアップデートされていって良いものなんではないかと。

 

そして、その大きな定義の軸の下に、その時々に応じて、やりたいことや好きなこと、興味が湧いたことやチャレンジしてみたいことなどを基準にもうすこし階層の細かな「軸」を設定してみるのはどうだろうか。

その時に好きなことを選び、選択し、その今にワクワク、ドキドキしながら達成感や興奮に包まれながら。

難しく考えるのはやめにしよう!

私には幸せな家族という存在が既にある。

その幸せの中で、与えられる選択肢のサイコロを振って自分をどんどん成長させていく。

その答えに行き着いた瞬間気持ちがふわっと軽くなったことに気付いた。

 今日、現時点で思う自分の人生の軸に辿り着いた。

 

“家族にとって最高の父親であること”

 

これや!笑

その、大きな定義を胸に今日からスタートを切ることにする。

そして、今までとは違う「軸」の探し方をすることにする。

その“探求”を楽しむことにする。